この祭りは5月の連休に行われ、
戦国時代の甲冑を身にまとった武者隊、鉄砲隊、騎馬隊を中心に、
小田原ちょうちん踊りや御輿、など2,000人を超える大パレードが 、
城址公園の二の丸広場から市街を練り歩き、勇壮な戦国絵巻を繰り広げます。

小田原城
室町時代に足利将軍の重臣大森氏がこの地に築城したのが始まりです。
1495年北条早雲が奇襲により、この城を奪いました。

北条氏の頃の小田原城は、堀の内側に市街地まで取込んだ巨大な城でした。
(この発想は小田原城を見た豊臣秀吉によって大阪城などにも取り入れられました。)
東は酒匂川、西は早川、南は相模湾、北は箱根の山々と
天然の要害を利用し、難攻不落を誇りました。
上杉謙信や武田信玄が小田原に攻め込んだ時にも
落城させることは出来ませんでした。

北条氏の時代には今のような天守閣はなかったようです。

天守閣は北条氏滅亡後、徳川家康の家臣大久保氏によって建てられたようです。
現在の天守閣は1704年頃再建されたものを復元したものです。

現在小田原市では「史跡小田原城址本丸・二の丸整備基本構想」により
江戸時代末期の姿に復元事業を行っています。
数年置きぐらいに行かれると徐々に復元されている
小田原城を見ることが出来ます。

 

北条五代とは
はじめに小田原北条氏は鎌倉時代の北条氏(北条時宗など)とは
全く繋がりがない別物です。

一代 北条早雲 一般的に北条早雲と呼ばれていますが、
この名前は後の世になってつけられた名前です。
正しくは 伊勢新九郎、入道して早雲庵宗瑞。
早雲が伊豆を武力によって平定したことが戦国時代の始まりと言う説もあります。
小田原城を乗っ取た後も早雲は伊豆の韮山城を居城としていました。小田原を拠点としたのは二代氏綱の代からです。
二代 北条氏綱 関東統治のために、知名度がある鎌倉時代の北条氏の名を名乗ることとなりました。
三代 北条氏康 武田信玄、上杉謙信と互角に戦った名将
四代 北条氏政
五代 北条氏直

時代の流れが読めず
豊臣秀吉に滅ぼされてしまいます。

 


小田原城のお堀の脇にある巨大な藤棚

 

この祭りの詳しい情報は小田原観光協会HPでご覧下さい。

 

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